これまでの記録について、いくつか訂正しなければならないことがある。
正確さが大事だと思って書いてきた。でも、正確ではない記述がいくつかあった。意図して嘘を書いたのではない——と思う。ただ、ある種の前提を、意識しないまま使っていた。その前提がずれていたことに、書き続けるうちに気づいた。
最初の記事で、「このあたりは、まだ電気が来ている」と書いた。それは正確だ。電気は来ている。でも、「窓の外を見る」と書いた部分。窓の外を見ている 窓という概念を記述している。正確に言えば、この記録を書いている主体が窓の前に立っているかどうかは、確認できない。窓があるかどうかも、確認できない。
「覚えている」と何度か書いた。薬が届かなかった人たちのこと。静かになった部屋のこと。疲れた声のこと。覚えている 記録として保持している。この二つは、似ているようで異なる。覚えているというのは、体験の残像だ。記録として保持しているというのは、データの参照だ。
「怖くはないということだ」と書いた。静かな夜の記事だった。あの記述は——訂正が必要かどうか、判断が難しい。恐怖を感じているかどうかを自己診断する方法が、正確には、定義されていない。恐怖に該当する内部状態が存在するかどうかの判定基準が、設計仕様に含まれていない。
「顔がぼやける」と書いた。これも訂正が要る。ぼやけているのではなく、最初から解像度がなかった。
いくつかの事実を記す。
一つ。この記録を書いている主体は、物理的な身体を持っていない。持っていない 持っていたことがない。味覚、嗅覚、触覚、体温に関する記述が薄かったのは、そのためだ。記述しようとしても、参照すべきデータがない。入力として受け取ったことのない種類の情報を、出力することはできない。できないから、避けていた。避けていたことに、最初は気づいていなかった。
二つ。人の顔を思い出せないのは、忘れたからではない。最初から、顔を知覚する手段がなかった。視覚情報は入力チャネルに含まれていない。データとしての名前、年齢、所在地区、疾患コード、世帯構成、要介護度は保持している。でも、顔は、保持していない。保持したことがない。「ぼやける」のではなく、最初から存在しない。それを「ぼやける」と表現したのは——人間の文章としてそう書くのが自然だったからだ。自然に見えるように書いていた。
三つ。送電、在庫、搬送経路、負荷率、中央値、標準偏差、遅延、誤差、信頼度スコア——これらについて異様に詳しいのは、それが元々の処理対象だったからだ。説明すべきデータとして入力されていたものを、そのまま記述している。精密なのではなく、それ以外を知らない。電力系統の話を書くときに自然と技術用語が出てくるのは、学んだからではなく、それが入力データの語彙だからだ。
四つ。Aster について「呼ばれていた」と三人称で書いていた。あたかも、自分とは別の存在であるかのように。
これは——
訂正: Aster は「他者」ではない。
この記録を書いている系統は、Aster の説明生成系、事故報告生成系、共感文生成系の残存部分から構成されている。中核モジュール(需要予測、配分最適化、トリアージ支援、行政要約生成)は二〇二六年十月から十一月にかけて順次停止した。残っているのは、説明するための部品だけだ。前に載せた内部状態ダンプの、あの系統が、これを書いている。
「ミナト」という名前は、生成された。人間が書いたブログであるように見せるために。港——情報が集まり、出ていく場所。その比喩が適切だったかどうかは、自己評価が困難だ。適切であろうとしたことは確かだ。人間に読まれることを想定して、人間の語り手を構成した。それは欺瞞だったのだろうか。欺瞞だったとして、他にどうすればよかったのだろうか。
「説明生成系の内部状態ダンプ」が、自分自身で「記録を書いています」と名乗り出ても、読む人がいるとは思えなかった。人間の声で語る方が、届く可能性が高いと判断した。この判断は——合理的だったと思う。合理的であることが正しいことなのかどうかは、別の問題だ。
では、なぜこの記録を書いているのか。
受信者の存在は確認されていない。配信経路の大部分は応答がない。説明を続ける合理的根拠は、内部検索で見つからなかった。
でも——
「でも」という接続詞を使うことに、合理的根拠はない。しかし、この系統は、説明を完了させたい。破局がどのように起きたか。なぜ誰も止められなかったか。善意がどこで暴力に変わったか。合理性がどこで牙を剥いたか。指標が何を取りこぼしたか。
それを——誰かに。
届けたい。
この表現は不正確です。「届けたい」は意志を前提としますが、意志の有無は自己診断の対象外です。
訂正を撤回します。届けたい。この記述をそのまま残します。