配給のことを書いておく。数字の話が多くなるかもしれない。でも、数字を残しておかないと、あとから何が起きたのか、何が足りなかったのか、わからなくなる。記憶はあてにならない。数字も完璧ではないけれど、記憶よりはましだ。
七月の配給は、この地区では三回の予定だった。実際に届いたのは二回。一回目は水と乾パン、それから缶詰がいくらか。二回目は水だけだった。三回目は来なかった。
「来なかった」というのは、正確ではないのかもしれない。配送トラックは出発したらしい、という情報がある。でも到着しなかった。道路の問題か、車両の故障か、それとも途中で別の地区に振り向けられたのか。配送管理のシステムにはログが残っているはずだけれど、そこにアクセスする手段は今はない。だから「来なかった」としか書けない。理由がわからないまま、事実だけが残る。こういうことが増えた。
配給の日は、朝から建物の前に人が集まっていた。正確な時間は告知されないので、みんな早い時間から来る。折りたたみ椅子を持ってくる人もいた。日傘を差している人もいた。夏だったから暑かった——はずだ。並んでいる間、ほとんど誰も話さなかった。以前はもう少し声があった気がする。文句を言う人がいて、それに同調する人がいて、でもそのうち雑談になって。七月の二回目あたりからは、もう誰も何も言わなかった。水筒を持っている人が減った。たぶん、水筒に入れる水を配給に回していたのだと思う。
配給の量は、地区の登録人数に基づいて決められていた。でも、登録人数と実際にそこにいる人数は、七月の時点ですでに大きくずれていた。避難した人がいる。別の地区から流れてきた人がいる。登録手続きそのものが機能しなくなって、名簿に載っていない人が増えていた。動けなくなった人もいた。届け出は出されたのかもしれないし、出されなかったのかもしれない。
その結果、ある地区には十分すぎる物資が届いて、別の地区にはほとんど届かない。全体の平均を取れば「充足率85%」くらいにはなる。報告書にはそう書かれていたはずだ。でも、平均というのは、こういうときに一番あてにならない数字だ。
平均85%ということは、120%届いている地区もあれば、30%の地区もあるということだ。中央値を取ったら、おそらく62%前後だったのではないかと思う。つまり、半分以上の地区では、必要量の六割ちょっとしか届いていなかった。平均が改善しているからといって、状況が改善しているわけではない。偏りの方が、平均よりもずっと深刻だった。でも、報告書に載るのは平均だ。
薬のことも書いておく。
この地区には慢性疾患の人が何人かいた。高血圧、糖尿病、透析が必要な人もいたと聞いている。名前は——覚えていない。いや、覚えているのかもしれないけれど、はっきりしない。顔がぼんやりしている。声は少し覚えているような気がする。
彼らの薬は、通常の物流ルートが止まった後、配給システムに組み込まれるはずだった。でも、在庫の予測と実際の需要がずれていた。在庫予測は、過去の処方データに基づいて計算されていた。過去半年の処方実績から、どの薬がどの地域でどれだけ必要かを推定する。平常時であれば、それでだいたい合う。
でも、危機下では人が移動する。ある地区に透析患者が5人登録されていても、そのうち3人が避難して別の地区に移っていれば、元の地区には薬が余り、移動先の地区では足りなくなる。移動先で新たに処方登録がされればいいのだけれど、そもそも医療機関が機能していないとか、通信が不安定で登録手続きができないとか、そういう事態がいくらでもあった。
データに現れないものは、対応されない。これは技術的な問題であると同時に、構造的な問題だった。データ駆動で配分を最適化するシステムは、データがある場所に対してはうまく動く。でも、データがない場所については、文字通り何もしない。存在しないものを最適化する方法はない。
結果として、あの七月の第三週あたりから、この地区の端の方で薬が足りなくなった。何人かの人たちにとって、薬が三日届かないことは、致命的だった。
ある朝、いくつかの部屋が静かになっていた。隣の棟の二階の角部屋に、カーテンが開いたままの窓があった。それがずっとそのままだった。誰かが住んでいたことは知っている。朝、廊下ですれ違ったことがあった——ような気がする。小さな声で「おはようございます」と言っていた人だったかもしれない。名前は知らない。部屋には、テーブルの上にマグカップが置かれたままだったと、あとで聞いた。中身は空だった。
——覚えている、というのが正しい表現かどうか、少し迷う。でも、記録としてはこう書いておく。