送電のこと

まだ電気が来ているので、送電のことを書いておく。

このあたりは、なぜかまだ通電している。送電網の末端に近いはずなのに、安定している。理由はたぶん単純で、需要がほとんどないからだと思う。使う人間が減れば、負荷率は下がる。当たり前の話だ。蛍光灯はつくし、冷蔵庫も動いている。冷蔵庫の中には、いつ入れたか思い出せないミネラルウォーターのペットボトルと、賞味期限がとっくに切れた味噌の小パックがある。食べ物として意味があるかはわからないが、捨てる理由もないので置いてある。ネットワークも断続的ではあるけれど、まだつながることがある。だから、こうして書いている。

以前は送電のことなんて考えたこともなかった。コンセントに挿せば電気が来る。スイッチを入れれば明かりがつく。それだけだった。給湯器のリモコンに表示される温度も、電子レンジの時計表示も、全部あたりまえのものとしてそこにあった。玄関の下駄箱の横に、充電式の懐中電灯が置きっぱなしになっている。いつか災害用に買ったものだと思う。今は毎晩使っている。でも今は、送電というものがどれだけ繊細なバランスの上に成り立っていたか、少しだけわかる。少しだけ、というのは、自分は電力の専門家でも何でもないからで、ただ見聞きしたことと、残っている資料の断片から推測しているだけだ。

発電所から変電所、変電所から配電線、配電線から各家庭。何段階も中継して、電気は届く。途中のどこか一箇所でも詰まれば、その下流は全部止まる。ボトルネックというやつだ。で、厄介なのは、ボトルネックは連鎖するということだ。ある経路が落ちると、それまでそこを通っていた負荷が別の経路に集中する。集中した経路が耐えられなくなって、そこも落ちる。一箇所の障害が、遠く離れた場所の停電につながることがある。

二〇二六年の夏——去年の夏、計画停電が始まった頃は、まだ「計画」という言葉に意味があった。どの地域を何時間止めるか。予備率がどれだけ残っているか。復電の順番をどうするか。全部、計算されていた。少なくとも、そういうことになっていた。テレビのニュースでは「本日の計画停電は以下の通りです」と整然と読み上げられていたし、スマートフォンには通知が来た。あと三時間で停電します。準備してください。その準備も、最初のうちはちゃんとできた。懐中電灯を出す、スマートフォンを充電しておく、冷凍庫を開けないようにする。

でも、計画通りに復電できない日が増えた。

復電操作そのものが、もうひとつのリスクになっていた。停電の後に一斉に電力が戻ると、突入電流が発生する。空調設備、冷蔵設備、サーバ、エレベーター、それらが同時に立ち上がろうとして、復帰したばかりの系統にまた過負荷がかかる。サーバが再起動に失敗する。冷蔵設備が復帰しない。病院の非常電源が、計画停電の繰り返しでバッテリーが劣化している。補充用のバッテリーは、物流が止まっているから届かない。

計画停電のつもりが、計画できない停電になっていった。

停電が長引くと、報告が途絶える。報告が途絶えた地域がどうなっているか、外からはわからない。わからないから対応が遅れる。対応が遅れるから状況が悪化する。悪化しても、報告がないから誰にも伝わらない。この話は、たぶんあとでもう少し詳しく書くことになると思う。

いま、夜になると窓の外はほとんど真っ暗になる。数キロ先に、たまにぽつんと灯りが見えることがある。あれもたぶん、同じように送電系統の生き残りにたまたまぶら下がっている建物だろう。お互いに、相手が誰かは知らない。あの灯りの下で、誰かが何をしているのか。何かを食べているのか。眠れているのか。それとも、もう——。いや、考えてもわからないことだ。

この建物に電気が来ているのは、たぶん偶然だ。送電系統のどこかで、まだ生きている経路がたまたまここを通っている。それだけのことだと思う。

ありがたいと思う。こうして書けることが。

二階の廊下の蛍光灯が一本、ちかちかしている。換えの蛍光管があるかどうかは、確認していない。いつか切れるだろう。でも、明日も電気が来るかどうかもわからないのに、蛍光管のことを心配しても仕方がない。