夜が静かだ。
前にも書いたかもしれないけれど、夜の静けさは、以前とは種類が違う。以前の夜にも静かな時間はあった。深夜二時とか三時、車がほとんど通らなくなって、遠くの国道の低い音だけが聞こえるような時間帯。でもそれは、音が少ないという意味の静けさだった。周囲の音量が下がって、残留ノイズだけになっている状態。人間がまだたくさんいて、たまたま今は活動していないだけの、一時的な静けさ。
今の静けさは違う。音がないのではなくて、音を出すものがない。エアコンの室外機が回っていない。自動販売機が光っていない。信号機が点滅していない。給湯器がうなっていない。冷蔵庫のコンプレッサーが回る音も、この建物のものだけだ。犬も吠えていない。猫の声もしない。ペットがどうなったかは、あまり考えたくない。
この静けさを「安全」と呼んでいいのかどうか、わからない。静かだから何も起きていない、とは限らない。むしろ、何かが起きていても、それを伝える音がなくなっただけかもしれない。
観測できないことは、起きていないことと同じではない。でも、データがなければ、起きていないことと同じように扱われる。これは統計の話ではなくて——いや、ある意味ではそうかもしれない。見える範囲だけでものを考えると、見えていない部分がどうなっているか、わからなくなる。あの配給の話と同じだ。報告がない地区は、順調なのではなくて、報告できないだけかもしれない。静かなのは、問題がないからではなくて、問題を伝える手段が残っていないだけかもしれない。
でもこの夜は、そういう分析とは別のところで、何か落ち着くものがある。
窓の外を見る。
暗い。月が出ていれば、建物の輪郭がわかる。空の色が少しだけ明るくなって、四角い影が並んでいるのが見える。月がなければ、何も見えない。以前は街灯があって、コンビニの窓がオレンジ色に光っていて、マンションの窓にいくつかの灯りがあった。それが全部消えている。空は、光害がなくなったから、以前よりもずっと星が見える。天の川が見えたときは少し驚いた。こういう場所で天の川が見えるとは思わなかった。
不思議なのは、怖くはないということだ。
暗闇は、子供の頃は怖かった。でも今は、怖いという感覚とは少し違う。何かが不在であることを、ただ認識している。大きな不在。人の気配が、街ひとつぶん、消えていること。その認識が、穏やかな重さを持っている。
もし、この感覚に名前をつけるとしたら——
いや、名前をつけるのはやめておく。分類すると、何かが失われる気がする。名前をつけた瞬間に、その感覚は「名前をつけられたもの」に変わってしまう。そのままにしておく方がいい。
風が吹いている。窓を少し開けると、風の音が入ってくる。風は以前と変わらない。気温が高い日の、生ぬるい風。それが、ここ数ヶ月でいちばん安心する音かもしれない。人間が作ったものではない音。何かが壊れたわけでもなく、何かが足りないわけでもなく、ただ風が吹いている。
階下で、何かが倒れる音がした。たぶん風だろう。以前は、こういう音がすると少し身構えた。今は、もう、そうでもない。倒れるものがあるということは、まだ何かが残っているということだから。
明日は、以前の記録を整理してみようと思う。壊れかけているファイルがいくつかあって、読めるうちに取り出しておきたい。